■命懸けのヴァレンタイン
 

 今日は土曜日だ。
 つまり、ドミノマートの特売日ってことだ。ドミノマートは、毎週土曜日に「早朝朝市」を開いている。朝9時の開店にあわせたタイムサービスの時間だけ、野菜や卵が特別価格で提供される。なんと、生みたて卵が一パック、税込みでたったの百円になるんだぜ。
 毎朝霜がおりる2月の中旬だから、おれは白いセーターの上から、白地にグリーンの縞が入ったマフラーと茶色のジャンパーをはおった。暦の上ではもう春になったっていうけれど、外に出ればかなり寒いから、まだ冬とかわらねえよな。
「これで、よしと。今日も必要な食料品を買いまくって、また食費を浮かすぞ」
 朝市に行くうちに、結構顔見知りになったおばちゃん達がいる。我が家の秘蔵レシピなんかを教えてもらったりして、おれにとっても楽しい買い物タイムになってるんだ。
 おれはうきうきとアパートの扉を開けて、外に出ようとした。しかし、強烈なめまいを感じて、すぐに扉を勢い良く閉めてしまった。
「疲れているのかな。夜遅くまでデッキを組んで、寝るのが遅くなったのが響いているかもしれねえな」
 おれはまぶたを強くこすった。まだねぼけているなら、早く目がさめたかった。タキシードを着たもうひとりの遊戯がおれの家の前にいるなんて。あれが夢や幻でなくてなんだっていうんだ。
 しかももうひとりの遊戯の奴は、真っ赤な薔薇の花束を抱えていた。おれは深く溜息をついた。
「妄想にもほどがあるぜ。熱でもあるのか」
 体の頑丈さだけは、おれの取り柄だと思っていたのに。高い熱に浮かされて、幻でも見ていたら最悪だ。
「城之内君。そこにいるんだろう」
 まずいな、今度は幻聴まで聞こえる。体温計をどこに置いたかなと呟きながら、おれは食堂の方に向かいかけていたが。
「ひどいな、城之内君。おれの顔を見るなり、扉を閉めるなんてあんまりだぜ」
 幻聴にしては、妙にはっきりとした声が聞こえた。もしや、本物の遊戯か。おれはすぐさま、玄関に突進していた。大きな音をたてて扉を開けると、笑顔をうかべたもうひとりの遊戯が立っていた。
「おはよう、城之内君」
「遊戯。おまえ、なんでここにいるんだよ」
「決まっているだろう、城之内君。君に会うためさ」
 まさしく本物の遊戯がそこにいた。おれは左右を見回すと、人目を集めないうちに、遊戯の手をつかんでうちの玄関に引きずり込んでいた。

             *      *      *

 おれは遊戯に紅茶を勧めた。遊戯の肩をつかんだら、すっかり冬の寒さで冷え切っていた。温かいお茶でも飲ませなければ、すぐに風邪をひきそうだった。遊戯はおいしそうに紅茶を飲んでいた。
「いったい、どういうつもりなんだよ、遊戯。こんな寒空にコートもなしで、タキシードだけ着てくるなんて、風邪でもひきたいのかよ」
 遊戯は仕立ての良いタキシードに身をつつんで、殺風景なおれの部屋の椅子に座っている。濃紺に近い布地の色が、遊戯の色白の肌に映えていた。
 もうひとりの遊戯は正装をしても、顔立ちに品があるから、格好よくきまるんだよな。
 うっかりおれは遊戯に見とれそうになったが、これはそういう問題じゃない。
 おまけに遊戯が抱えてきたのは、真っ赤な薔薇の花束だ。こんな見事な大輪の花束を花屋でつくってもらったら、かるく一万円は越えるんじゃねえか。
 もったいない金の使い方をしているなと思ったのは、長年自炊をしているせいで、おれの金銭感覚が家庭の主婦に近いせいかもしれない。
「この花を受け取ってくれないか。城之内君」
「どうして、おれに花なんかくれるんだよ」
 見事な花束をそっと差し出されて、おれは息をのんだが、つい受け取ってしまった。
「ヴァレンタイン・デーに大切な人と会うときは、花とかの贈り物がつきものだと教えてもらったんだが。違うのかい。城之内君」
「どこのどいつが、おまえにそんなことを吹き込んだんだ。遊戯」
「獏良から聞いたんだが。変なのか」
 おれは電話口にダッシュした。クラスの連絡網で獏良の家の電話番号をみつけると、猛然とボタンを押した。もしこの場にいたら、獏良をたこ殴りしてやる。殺気をあたりに撒き散らしながら、おれは電話をかけていた。
「はい、おはようございます。獏良です」
「なにのんきな声をだしてやがるんだ。獏良」
「ああ、城之内君か。どうしたの、こんな朝早くから電話するなんて。何かあったの」
 電話口から寝ぼけたような声が聞こえた。昨日もまた怪しげなロールプレイングゲームの脚本を書いてたんじゃねえだろうな。
「てめえ。遊戯の奴に、何を吹き込んだ」
「え、なんだっけ。そういえば、このあいだもうひとりの遊戯君がヴァレンタイン・デーのことを知りたがっていたから、僕がじっくりと説明してあげたんだけど。それが、どうかしたの」
 おれの肩から力が抜けた。もうひとりの遊戯は古代エジプトの王様の魂だ。そのためか、世間のことには少し疎いところがある。
 それから獏良は、とうとうおれにまでヴァレンタイン・デーの説明を始めた。獏良は結構薀蓄マニアだ。おれは観念して受話器を耳に当てていた。
「ヴァレンタイン・デーは、聖ヴァレンティノが殉教した日なんだ。まあもともと、早春の時期は、小鳥が相手を選ぶことにもなぞらえて、愛の季節とみていたらしいけどね。聖ヴァレンティノは、紀元175年頃イタリアに生まれた人で、ローマ司祭となって、キリストの教えを説いたんだ」
「なんで、そんなおっさんとヴァレンタイン・デーが関係あるんだよ」
「まあまあ、最後まで聞いてよ。城之内君。当時のローマは、キリスト教はまだ異教として迫害されていたんだ。その上、時のローマ皇帝クラウディウスは、外国に遠征する兵士が結婚することを禁じていた。つまり皇帝は、結婚すると兵士が命を惜しんで戦わないと思ったらしいよ。聖ヴァレンティノは、これに反対して、恋人たちをひそかにかくまって結婚させていたみたいなんだ」
「よくわかんねえけど、随分と根性ある聖職者のおっさんがいたもんだな」
 おれは感心して、獏良の話を聞いていた。
「でも、皇帝崇拝を拒否しキリスト信仰に身を捧げたことと結婚禁止令に違反したかどで捕らえられて、聖ヴァレンティノは、273年2月14日に処刑されたんだ。その後、司祭の勇気ある行動をたたえて聖人としてまつり、殉教した日を祝日にしたんだよ」
 ヴァレンタイン・デーは、随分血なまぐさい日だったんだな。チョコをやりとりするだけのめでたい日じゃなかったってことか。
「聖ヴァレンテイノのおっさんは、皇帝の命令にそむいて結婚式を挙げてくれたかもしれねえけどよ。結婚した奴もかなり勇気がいっただろうな。見つかれば、すぐ皇帝に殺されそうじゃねえか」
「ああ、それね。昨日、もうひとりの遊戯君も同じことを言っていたよ。だからさ、命賭けの恋だったら、聖ヴァレンテイノにあやかって、ヴァレンタイン・デーにプロポーズするのが一番いいよねって。つい言っちゃったんだ」
「つい言っちゃったじゃねえよ、獏良。どうしてくれるんだ。この騒ぎの後始末はできるのか。てめえが責任をきっちり取りやがれ」
 おれが電話口でわめいていたら、獏良はのんきに声をあげて笑い始めた。
「やっぱり、城之内君のところにもうひとりの遊戯君は行っちゃったんだ。それで、もう返事はしたの。城之内君」
「いたいけな王様に、変なことを吹き込むんじゃねえよ。獏良」
 おれは獏良を怒鳴りつけた。
「城之内君にも、日本にヴァレンタイン・デーが入ってきた時の経緯もじっくり説明してあげたかったんだけれど。どうもそっちはいまお取り込み中みたいだから、もう電話を切るね。それじゃ、城之内君。また月曜日に会おうね。もうひとりの遊戯君によろしく」
 獏良はさっさと電話を切りやがった。おれは怒りに震えたまま、受話器をたたきつけた。

               *      *      *

「ヴァレンタイン・デーには、本気で好きな相手だったら、誰にでも想いを打ち明けていいと聞いたんだが。違うのかい、城之内君」
 振り向くと、困ったような遊戯の目線と目があった。おれの怒鳴り声が気になって、おれの部屋から出てきたらしい。どう話したら、もうひとりの遊戯の誤解を解くことができるのだろうか。
 ヴァレンタイン・デーは、男が男にプロポーズする日じゃねえんだと、こいつの誠意を傷つけずにうまく伝えられるといいんだが。おれはがらにもなく、必死であれこれ考えをまとめようとしていた。
「君に赤い薔薇を贈るのを勧めてくれたのは、相棒なんだぜ」
 だいたい遊戯も遊戯だ。どうしてこいつが勘違いしてこんな無茶苦茶な行動に出る前に、さっさととめてやらなかったんだ。花まで勧めるとは、あっちの遊戯はどういう了見をしているんだ。おれはめまいを感じた。
「そういえば、そのタキシードはどうしたんだよ。遊戯」
 遊戯は、タキシードに目をやった。
「じいちゃんから借りたんだ。若い頃のじいちゃんは冒険家で、冒険家としての正装がタキシードだったみたいだ。クロゼットの奥からいろいろ出してくれたぜ。せっかくプロポーズをしに行くのなら、かっこよく決めていけって、一番いい服を貸してくれたようだ」
 頼む、じいさん。まだもうろくしないでくれよ。遊戯は高校生だ。仮に女にプロポーズするにしたって、まだ早すぎる年だぜ。遊戯はおれをじっとみつめていた。
「城之内君。俺がプロポーズするのは、そんなに君を困らせることなのかい」
「あたりまえだろう。困るに決まっているだろが。普通、男は男と結婚できねえんだよ」
「そういうものなのか。城之内君」
 おれは言葉につまった。迷いのない、真剣な遊戯のまなざしが痛い。
「どうして、おれにプロポーズするんだよ。遊戯」
 耳まで赤くしておれはうつむいた。
「君のためなら命も惜しくはないと、俺は思っている。命賭けの恋ならば、想いを伝えていいと聞いたときに、決めたんだ。だから、獏良の言葉はただのきっかけにすぎないと思う」
 まるで薔薇の花のように、華やかに遊戯は笑った。
「たとえ、君が俺のことが嫌いでも、俺は君がこの世で一番好きだ。それだけは、君に覚えていてほしかった」
 世界で一番おれが好きだと、もうひとりの遊戯は言った。おまえは命賭けでおれに惚れているって、そう思ってもいいのか。遊戯。
 遊戯はおれの側を通り過ぎて、玄関に向かっていた。
「もう帰るのか。遊戯、おれからの返事は聞いていかねえのかよ。それでいいのか」
「城之内君は返事に困っているんだろう。それで君の気持ちはよくわかったから、もういいんだ」
 遊戯は、今日は珍しく革靴を履いてきていた。いつもと違う遊戯。おれのために、正装までしてくれた遊戯。おれの胸が急に痛みだした。
「そんなにすまなそうな顔をしないでくれよ。城之内君。俺はこの想いを君に伝えたかった。みんな、俺の我侭だから、城之内君が気にすることはない」
 もうひとりの遊戯は、失われた王の魂だ。この世界からいつ消えても、おかしくない存在だ。その穢れない魂だけが、武藤遊戯の体の中に宿っている。
 おれに想いを伝えられただけで満足だと遊戯は笑う。それなら、おれの想いはどこにいくんだ。
 遊戯、遊戯。おまえは卑怯だ。おれの心に大きな波紋を投げかけて、あっさりとおれの側から離れようとする。
「信じられねえくらい、わがままな奴だな。もうひとりの遊戯は」
「すまない、城之内君。今日のことは君が忘れたければ、全部忘れてくれてもかまわない。俺だけはずっと覚えているから」
 さっさと、自己完結しているんじゃねえよ。恋愛は二人でやっていくもんだろう。
はじめからうまくいかねえって思い込んでるのは、勝負に賭ける気力のない決闘者と同じだぜ。
 おれは、ついに賭けに出ることにした。遊戯の両脇に手をついた。壁に遊戯の体を縫いとめる。
「おれがおまえに好きだって言ったら、どうするつもりだったんだ。遊戯」
 おれは遊戯に顔を近づけた。ついおれがうっとりするほど、遊戯は本当にカッコイイ。
「君の唇に、キスしたかもしれないな」
「すればいいじゃないか。おれはかまわねえよ。遊戯」
 おれは遊戯の唇を奪った。これで遊戯のファースト・キスはおれの物だ。でもおれのファースト・キスも遊戯の物だからおあいこだ。
「城之内君」
 遊戯は目を丸くしていた。
「おれは女じゃねえから、結婚してくれとかプロポーズされても困るけどな。遊戯がおれのことを好きだっていってくれるのは、大歓迎だぜ」
 おれと遊戯は顔を見合わせて笑った。遊戯が抱きしめてきた腕を、おれはもう二度と拒まなかった。


END
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presented by 藤村美緒様

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2003年1月25日、城之内くんの誕生日合わせで急遽描いたトップイラスト。遊戯との待ち合わせに場所に出かけようと扉を開いた城之内くんの前にとんでもない格好の王様が!というアホイラストにステキな小説をつけてくださいました。バレンタイン設定で描いてくださったのですが、保存状況の都合でイラストのHAPPY〜の文字が消せなかったためちょっぴりマヌケですがご了承くださいませ。